サンエイサンキュー事件
今の時代だったらオーナーと某記者相当
叩かれたと思う。
クイーンC週に作成するのは趣き深いことで振り返ります。
ローテーションと競馬マスコミ。
1992年牝馬クラシック
この当時は秋華賞がなかった。
(1996年に第1回秋華賞)
3歳牝馬路線として
桜花賞(阪神競馬場芝1600m)
オークス(東京競馬場芝2400m)
エリザベス女王杯(京都競馬場芝2400m)
この3冠を制覇しているのはメジロラモーヌしかいない。
(スティルインラヴ・ジェンティルドンナ・アーモンドアイは3冠目秋華賞)
1992年ー桜花賞
【1992年桜花賞結果】
1着 ニシノフラワー 河内洋
2着 アドラーブル 村本善之
3着 ラックムゲン 南井克巳
7着 サンエイサンキュー 東信二
1992年ーオークス
【1992年オークス結果】
1着 アドラーブル 村本善之
2着 サンエイサンキュー 田原成貴
3着 キョウワホウセキ 武豊
1992年ーエリザベス女王杯
【1992年エリザベス女王杯結果】
1着 タケノベルベット 藤田伸二
2着 メジロカンムリ 横山典弘
3着 ニシノフラワー 河内洋
5着 サンエイサンキュー 田原成貴
1992年サンエイサンキュー
クイーンCを勝利した後、何故か弥生賞に向かう
勝利したのがアサカリジェント。
その後、桜花賞へ
騎乗した東騎手もだらしないって内容で7着。
ここはTR挟まず
オークスへ直行。
田原成貴騎手に乗り替わって
オークスは2着。
ちなみに、このオークスが管理人初めてライブで見たオークス。
田原成貴はゲートの不利が痛かったって。
普通なら夏休みなんだろうけどね。
ここから
札幌記念G3を52キロで勝利。
すぐに函館記念に出る。
今度はハンデもきつくなり55キロで惨敗。
ここから直行でも良いのに
サファイアS 1着
ローズS 2着
この後事件が起こる。。。。
サンエイサンキュー事件
これだけ使っていたら、馬の状態も悪くなる。
それで、田原成貴騎手はエリザベス女王杯調教インタビューの後、
リップ・サービスだろうが
「こんなに悪く言って・・・こんなので勝ったら頭を丸めないとね」
それをまた聞きした、某競馬記者(現在も活躍中)
「田原2着以上なら坊主になる」
これが、競馬法に抵触する話で
田原成貴騎手はJRAから注意を受ける。
ネット記事によると
某記者は共同会見に遅刻して、サンエイサンキューの状態について
田原成貴騎手に聞きに行ったところ無視させたから、
こんな記事を書いたと言われている。
その後のサンエイサンキュー
状態が悪かったけど、それでも頑張ったサンエイサンキューは5着。
その後、もう無理だろうって思っていたけど
騎手が加藤和宏騎手に替わって有馬記念に出走するも
競走中止。。。
サンエイサンキューローテーション
1991年 7月 新馬
1991年 7月 新馬 連闘
1992年 7月 札幌2歳S 連闘
1991年 8月 グローバー賞
1992年 8月 函館2歳S
1991年 10月 いちょうS
1991年 12月 阪神JF
1991年 2月 クイーンC
1992年 3月 弥生賞
1992年 4月 桜花賞
1992年 5月 オークス
1992年 7月 札幌記念
1992年 8月 函館記念
1992年 10月 サファイアS
1992年 10月 ローズS
1992年 11月 エリザベス女王杯
1992年 12月 有馬記念
やっぱりこれ見ると、使いすぎというか使いすぎだろう。
ちょっと可愛そうだったよね。。。
この頃は田原成貴は神だと思っていた
私・・・
まさかその後こんなことになるとはね。
田原成貴
調教師なんかならないと良かったのかなw